【遠赤外線の科学 目次】
- 赤外線の発見
- 赤外線とは
- 赤外線の種類
- 加熱とは
- 放射に関する四つの基本法則
- 遠赤外線の吸収率
- 遠赤外線の生成
- 遠赤外線と近赤外線の比較
- 遠赤外線使用上の注意 (Q&A)
- 主要材料の比重・比熱・熱伝導率
遠赤外線の科学1 赤外線の発見
赤外線は、多才の天才に発見されました。
サー・フレデリック・ウィリアム・ハーシェル
フレデリック・ウィリアム・ハーシェル(享年83歳、Sir Frederick William Herschel, ドイツ語名はフリードリヒ・ヴィルヘルム・ヘルシェルFriedrich Wilhelm Herschel1738年11月15日 – 1822年8月25日)は、ドイツのハノーブァー出身のイギリスの天文学者・音楽家・望遠鏡製作者。天王星の発見や土星の衛星の発見、恒星の固有運動の研究など、天文学における数多くの業績が有ります。
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヘルシェルはハノーヴァーのユダヤ人の家の10人兄弟姉妹の4番目の子供として生まれました。
14歳で父アイザックと長兄ヤコブが勤めていたハノーファー近衛連隊の楽団にオーボエ奏者として入団しました。
当時イギリスとハノーファー選帝侯国はジョージ2世の下で同君連合を組んでいたので、楽団はイギリスへの赴任を命じられました。
短期間で英語を習得し、17歳でイギリスに渡って名前をフレデリック・ウィリアム・ハーシェルと名乗るようになりました。
イギリスでのハーシェルは音楽教師として、また楽団長として成功を収めました。
ハーシェルはヴァイオリンやオーボエ、後にはオルガンも演奏しました。
ハーシェルは音楽に携わるうちに次第に数学にも興味を抱くようになり、さらに天文学も学ぶようになりました。
34歳頃から本格的に天文学に携わり、自ら望遠鏡を製作し始め、天文学者のネヴィル・マスケリンと面識を得るようになりました。
ハーシェルは月を観測して月面の山の高さを測定したり、二重星のカタログの編纂などを行ないました。
ハーシェルの人生の転機は42歳の1781年3月13日に訪れました。
この日、バースのニュー・キング・ストリート19番地にある自宅で天王星を発見しました。
この発見によって一躍有名人となり、以後天文学の研究に専念するようになりました。
ハーシェルはその生涯で400台以上の望遠鏡を製作しました。その中でも最大で最も有名な望遠鏡は焦点距離40フィート(12m)、口径49 1/2 インチ (126cm) の反射望遠鏡です。
ハーシェルは望遠鏡の口径の一部を覆い隠すことによって非常に高い角分解能が得られることを発見しました。
この原理は今日の天文学における干渉法の基礎をなすものです。
1800年2月11日、62歳のハーシェルは太陽黒点を観察するためにフィルターをテストしていました。
赤いフィルタを使うと、沢山の熱が生み出されることに気付きました。
ハーシェルは、プリズムを通した可視スペクトルの赤色光のとなりに温度計を固定することによって、太陽光の赤外線の放出を発見しました。
この温度計は、もともと実験室の気温を測定し制御するためのものでした。
それが可視スペクトルよりも高い温度を示したことにハーシェルはショックを受けました。
さらなる実験で、可視のスペクトルを超えても、光の見えない形があるにちがいないとハーシェルは結論を得ました。
晩年のハーシェル
ハーシェルの実験模式図
ハーシェルの実験からヒントを得たドイツの物理学者ヨハン・ウィルヘルム・リッター(Johann Wilhelm Ritter、1776年-1810年)は、1801年に光に反応する銀の塩化物を使用して紫外線を発見しました。