① プランクの法則
マックス・カール・エルンスト・ルートヴィヒ・プランク, 1858年4月23日 – 1947年10月4日 ドイツの物理学者
プランクの法則とは物理学における黒体から輻射(放射)される電磁波の分光放射輝度、もしくはエネルギー密度の波長分布に関する公式です。 ある温度 T における黒体からの電磁輻射の分光放射輝度を全波長領域において正しく説明することができます。1900年、ドイツの物理学者マックス・プランクによって導かれました。
プランクはこの法則の導出を考える中で、輻射場の振動子のエネルギーが、あるエネルギー素量(現在ではエネルギー量子と呼ばれています)ε = hν の整数倍になっていると仮定しました。このエネルギーの量子仮説(量子化)はその後の量子力学の幕開けに大きな影響を与えました。
プランクの法則とは、黒体の放射エネルギーと波長の関係を示したものです。 物質はその温度に応じたエネルギーを電磁波の形で放射しています。 放射されるエネルギーは、温度により、物質により、またその表面状態などにより変化します。
一般の物質では放射率が1以下になります。したがって、黒体と同一温度の物質の分光放射エネルギー特性は、黒体の示すそれより下側に、曲線が描かれることになります。
② ステファンボルツマンの法則
ヨジェフ・ステファン, 1835年 3月24日 – 1893年 1月7日オーストリアの物理学者
ルートヴィッヒ・エードゥアルト・ボルツマン, 1844年2月20日 – 1906年9月5日オーストリアの物理学者
物質から放射されるエネルギー量は、物質の温度が高くなるにつれて大きくなります。絶対温度T(単位:ケルビンK)の黒体から放射されるエネルギー量(E)は、プランクの法則を全波長に対して積分することで得られ、絶対温度の4乗に比例する形で与えられます。これをステファンボルツマンの法則といいます。
ヨーゼフ・ステファンが1879年に実験で発見し、弟子のルートヴィッヒ・ボルツマンが1884年に理論的に証明しました。二人の名前をとり、ステファンボルツマンの法則と呼ばれています。
E=5.6697×10-8・T4 [W/m2]
③ ウィーンの変位則
ヴィルヘルム・カール・ヴェルナー・オットー・フリッツ・フランツ・ヴィーン、1864年1月13日 – 1928年8月30日ドイツの物理学者
ウィーンの変位則は1896年にウィーンが発見しました。
物質から放射される電磁波のピーク波長(一番エネルギーの高いところ)は、放射体の温度が高くなるにつれて、短波長側にシフトします。
λ=2897/T [μm]
これをウィーンの変位則といいます。
例えば、36℃(絶対温度T=36+273=309K)の体温を持った人間が放射する電磁波のピーク波長(λ)は、2897÷309=9.4μmとなります。即ち、人間は、約9.4μmをピークとした遠赤外線を放射しているわけです。
ウィーンの変位則で示されるピーク波長を境に短波長側の積算面積(エネルギー)は、全体エネルギーの25%で、長波長側は75%です。即ち、長波長側(遠赤外域側)が、3倍のエネルギーを放射していることになります。
それでは、絶対温度T(K)の黒体で、その放射エネルギーを2分する波長(λ)はどこかというと、λ=4,108/T [μm]という式で求められます。
例えば、近赤外域と遠赤外域の境目波長3μmのところで、放射エネルギーが50%ずつに分かれる黒体温度Tは、T=4,108/3=1,369(K)(=1,369-273)=1,096℃となります。
かなり高温まで遠赤外線が、高いウェイトを占めていることが分かります。また、この時のピーク波長は2,897/1,369=2.1μmで、当然ながら近赤外域にあります。
ウィーンは1911年に「熱放射の諸法則に関する発見」によりノーベル物理学賞を受賞しました。
④ キルヒホッフの法則 (放射エネルギー)
グスタフ・ローベルト・キルヒホフ, 1824年3月12日 – 1887年10月17日プロイセン(現在のロシアのカリーニングラード州)の物理学者
放射平衡状態にある物質が放出する放射エネルギーと吸収能との比は、物質に関係なく一定で、その値は完全黒体の放射エネルギーに等しい。
つまり、一般的な不透明な材料の場合は、吸収率と放射率は等しい という法則で、1860年にキルヒホッフ が発見しました。
キルヒホッフは、電気回路に関する法則と放射エネルギーに関する法則と反応熱に関する法則を発見しているので、通常はキルヒホッフの法則 (放射エネルギー)と記述されることが多いようです。